team.ups!の『世界で一番どうでもいい文章』

名古屋のコメディ演劇ユニット・team.ups!のウエダタカヒロによる日々のあれこれ

#19 「兵庫県」じゃなくて「神戸」って言いがち

ウエダです。

 

以前、関西でやっていた頃の演劇について、自己紹介がてら振り返りました。その続きです。他人に散々振り回され嫌気が差した僕は、ついに「ホンだけ書いていたい」という願望を捨て、しがらみの世界に足を踏み入れるのでした。そうして主宰として初めて立ち上げたのが、

 

コントパフォーマンスユニット404

(後のunit.404)であった。

 

記念すべき旗揚げ作品は、

タイトル:『ならず者≠デスペラード

 

映画『シン・シティ』のような、ひとつの街を舞台に登場人物が交錯するオムニバス。ヒーローもののコメディである。

 

『激昂仮面』

怒鳴りつけて悪を正すヒーローの話。笑

1章ではバリバリ通用していたのに、時が経った4章では時代に取り残されているという、悲哀の人。演じてくれたのがそこそこのおじさんだったので、それもまたリアリティがあった。

 

『サイボーグ404』

すごく可愛がっていた役者志望の青年(でも舞台初)にひとり7役をさせた作品。笑

プロジェクターで流す映像の撮影のために、深夜も早朝も辞さないデスマーチを敢行した。しんどかったけど、笑いはめちゃくちゃ取れた。関西にいて一番金がなく、でも一番楽しかった時期。

 

『ゆとレンジャー』

ひとりじゃ何にもできない戦隊ヒーローの話。

優柔不断で頼りないレッド、無気力で打たれ弱いブルー、お気楽で無責任なピンクが悪と対峙して本当の正義に目覚めるまでを描いた。

 

これだけ書いたけど、内容はうろ覚え。

というのも、この作品の台本データだけ、破損して手元にないのだ。そんな超大作でもなし別にいいんだけど、何だかモヤモヤ。

 

bye.

 

何かの会社の2階にいたやつ。

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#18 夢>目標>予定だよな、強さ的には。

ご無沙汰です。

ウエダです。

 

「長い文章書きたくない」という、劇作をする者にあるまじき思いに囚われていました。

 

今日は月1公演の本番。

6月のteam.ups!本公演の稽古も進んでおります。ありがたや。

 

演劇をやる上での【夢】って何だろうと考えました。夢と言えば、「すべてのお客さんに“おもしろかった”と口にしてもらうこと」。

夢へ近づくための【目標】が「多くのお客さんに“おもしろかった”と口にしてもらうこと」。

一見、「そんなに大層な、難しいことか?」と思われるかもしれない。

 

断言しよう。

 

難しい。

 

まず“おもしろい”ほど個人の感性に左右されるものはない。同じものを食べて美味しいと思う人、対称に不味いと思う人がいるが、それよりも不確のものだと思う。

 

しかも、私の目標は「おもしかったと“口にしてもらう”こと」。帰り道に「(あー、おもしろかったなー)」と思うだけではない。もうすぐさまSNSに書きたくなる、隣席の人と語り合いたくなる、帰ってから家族や恋人に伝えたくなる、演劇なんか興味ない友だちにも話したくなる「おもしろかった」を目指している。

 

これは難しい。

だからこそ、一生を賭してやる甲斐がある。

 

と、私は思います。

 

嫌になるときもあるけどね。

「芝居なんかやめたらぁ! ボケがぁ!」

って。でも、やめられないんだよなぁ。

 

bye.

 

ユースの自販機でカフェオレのとこにこれ入ってる罠。(直してくれたかなぁ…)

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#17 これが人類の黒歴史

ウエダです。

 

名古屋で演劇を始める以前のことを書いています。今回は神戸に住んでいる頃の話。

 

タイトル:劇団home『ふつつかものがたり』

 

掲示板で知った団体に脚本を提供。

少しのあいだ一緒に活動した。そこでの時間は黒歴史として根強く残ることになる。(でも、それを通して知り合えた人たちもいるので、そこは感謝)

 

件の作品は関西のとある演劇祭で上演された。

風俗店で指名待ちをしている3人の女の話。

 

そこには名古屋からある学生劇団が出場していて、今でも細くつながりがある。名古屋に来るにあたって精神的な足がかりになった。

 

結果は、他団体が続々と受賞していく中での“審査員特別賞”。予定されていた賞の数より出場団体の方がひとつだけ多く、当劇団だけ何も貰えなかったことへの配慮で急遽作られた賞である。いわば“頑張ったで賞”だ。

 

当然「いるか!!こんなもん!!!」となった。反体制である。(今回の賞状は鍋敷きとならず、主宰に贈られた)

 

ここでの思い出はロクなことがない。

本番当日だけとっても、主宰は寝坊して来ない(しかも嘘の言い訳をする)、役者は他団体とコミュニケーションを取ろうとしない(何が腹立つって帰ったあとちゃっかり繋がってるSNSでは饒舌なこと)、などなど挙げればきりがない。

 

最後は主宰による経費の使い込みなどについて揉めて、他の所属の人に警鐘だけ鳴らして脱退。団体はその後も少しだけ活動してたみたいだけど、今は何してるんだろ。

 

しかし、この経験から「他人に舵取り(運営)を任せていたら自分のやりたいことはできない」と学び、自分の団体を主宰していくことになる。

 

まあ、今につながってるちゃ、つながってる?

 

bye.

 

神戸三宮の都会にもイノシシは出ます。

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#16 ディスクはケースに戻す癖をつけよう。

ウエダです。

前回からの続き。

 

3.まんじゅうにくい

落語『まんじゅうこわい』を下敷きに、不条理劇のような。

 

馬鹿にされた腹いせに「まんじゅうがこわい」と言う侍に仕返しをする男たち。

しかし、侍のそれは「怖い」なんてものではなく「憎い」という感情だった。まんじゅうを持ってきた男たちは侍に斬り伏せられてしまう。

 

侍がまんじゅうを憎む理由が、口上のやうに高らかに割とポップに語られる。男からの合いの手も入るし。そこからの惨殺シーンである。

ラストシーン、侍がひとりだけ生き残った男(仕返しに加担しなかったため)の口に、まんじゅうを詰め込んで去る。残された男が「まんじゅうこわい……」とつぶやく終わり方は好き。

 

特に意味やテーマはなく、ノリで書ききった作品。

 

4.キメラ系女子座談会

ケンタウロスミノタウロス・人魚・半魚人が女子会をする話。完全におふざけ。

誰かが席を立つ度に始まる悪口、からの爆発して罵り合いというひどい話。笑

 

界隈で有名な“ア○ウェイに勧誘してくるMさん”を揶揄したネタもあった。元気かな。今も演劇に携わる若者をご飯に招待して「……夢ってある?」と聞いているのだろうか。

 

小道具作るのがやたら大変だった思い出。

でも、楽しかったな。オールで合宿めいたことしたり。

 

そんな感じの私の初公演。

このとき劇団員以外に出てくれたのは、大学の後輩。それに、私に演出の“え”の字を教えてくれた劇作家さんだ。特に誰からも指導なんて受けてない私の、唯一、師匠と呼べるような人かもしれない。恐ろしいことだが、当時の私は「ホンだけがおもしろければ構わない」と思っていた。

 

本当に出来の悪い芝居に付き合わせてしまい、後日「自分がついていながら」とひどく悔やまれていた(らしい、と私は聞いた)と知ったときには、こんな自分のためにひとりの劇作家の演劇人生を終わらせてしまったかもしれない、と青くなった。

幸い今もSNSでお見かけするので、いつかまた一緒にやれたらと思っている。

 

でも、その経験で「演劇をやる上での責任」みたいな、今の自分のポリシーを形成している。

終演後、スタッフで入ってくれてた先輩劇団の方にボロクソ言われたことも。

まあ、色んな方向から洗礼を受けた形だったけど、間違いなく僕のルーツはここから。

これからも初心を忘れずに頑張っていきます。

 

あと、パソコンに入れっぱなしだった大人のDVDを皆に見られたショックも忘れられません。

 

bye.

 

意外と人懐っこい鳥。

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#15 伝統を守る=新しいものの否定ではないねんで。

ウエダです。

今日は実質第1作とも言える作品について紹介します。

 

タイトル:ゲキダンモドキ『四者負荷試験

 

まとまりのない短編群でタイトルに迷っていたところ、当時病院で勤務していた役者がつけてくれました。響きで採用。

 

この作品は奈良に住んでいた頃、大学の先輩と友人と旗揚げした劇団の1回目の本公演です。

色々あって今は散り散りですが、先輩は関西、友人は東京をベースにして活動しています。各人が経験を積んだ今なら、わだかまりなくまたやれるだろうか。

 

当時はどこでやったらいいかもわからず、身の丈を大きく超えた小屋で赤字を出しながらやりました。

僕自身は作としても演出としてもボロボロで(というか演出って何だよって感じ)、この時の苦い経験が、僕が本格的に芝居の世界に入れ込むことになったきっかけでもあります。

 

作品について。

四編からなり、すべての話の枕にある掌編が、申し訳程度に各話間のつながりを匂わせている。はっきり言って不要。無知ゆえに、そうしないといけないという意見を真に受けたんや……。

 

1.Black or White

いわゆる“すれ違いコント”。

蒸し暑い夜のオフィスで、男女が二人、残業をしている。男は仕事が終わらず、女は男が帰るのを待っている。

録音した音声(心の声)と実際に発する台詞で物語が進行していく。

 

男は女が自分のことを狙っているんじゃないか、女は男が自分の悪事(横領)に気づいてるんじゃないかと、疑心暗鬼になりながら夜は更けていく。

 

個人的に思い入れがあり、何となく好きな作品。リライトして再演したことも。

 

2.早口家の人々

由緒正しい名家・早口家の鉄の掟【噛んだら罰】。ひとり息子の帰省をきっかけに、父・母・執事たち4人の会話が始まる。

 

ゴングが鳴ってからの展開は役者も知らず。

舞台上のスクリーンに映し出された台詞を読む。そして、噛んだらめっちゃ酸っぱいエキスをショットで飲むという罰が。笑

 

音響をやってくれていた方に判定のSEを入れてもらったり、執事役の方の台詞に「〜ですよね、○○」とだけ書いてキラーパスさせたりと、個人的にはおもしろかったんですが「こんなの演劇じゃない」みたいな声も多数頂きました。どんだけ狭量なんだよ……。普段観劇しない層の方には概ね好評でしたけどね。

 

懐かしい。

続きはまた書きます。

 

bye.

 

メメタァ

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#14 “P”はピッグのP

ではないです。

ウエダです。

 

おかげさまで屋号を知って頂くことが増えて。

team.ups!っていう名前の由来を聞かれたりすることもあります。

 

関西で使ってた屋号は最終的に忌々しく思って捨てて終わったので、

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(どんだけだよ…)

 

新天地・名古屋で活動するにあたり、どうしよっかなーと。

「ウエダタカヒロ プロデュース公演」とか銘打つのも仰々しいし、何かねぇかなーって感じでつけた企画名でした。

 

まず「u」→

いわずもがな『ウエダタカヒロ

次に「p」→

ピッグじゃないよ。『プロデュース』

そして「s」→

『show、surprise、short(短編)、story(長編)』など色々意味合いが変わる便利な文字

最後に「!」→

驚き、笑い、感動など『お客さんからのリアクション』

 

最初に「ups」ができて、響き的に「劇団」や「ユニット」じゃねぇなぁと思い「team」になって、寂しいので最後に「!」が付いた。

響きが似ている北海道発の某有名演劇ユニットがありますね。うちが全部小文字なのは、あの人たちが大文字だから。打倒O泉。

 

稽古場等の施設の職員さんは何故か気を利かせて頭文字を大文字にしてくれます。辛い。

 

あと、学生時代に呼ばれていたあだ名がいつしか「up(ゆーぴー)」と略式され、思い入れもありSNS上の色んな場面で使ってるというのもあります。

 

ちなみに“team up”という慣用句は「チームを組む」という意味だそうです。ひとつの公演のために集まって、終わったら解散するというスタイルにぴったりかなと。

 

まあ、後付け含み色々と複雑に絡み合ってできた屋号なんですわ。これでもね。最近やっと愛着湧いてきた。

 

bye.

#13 人生初の作・演出は…

ウエダです。

 

名古屋に来るまでは関西で演劇をやってたんですが、その時のことを知らない人がこちらではほとんどだと思うので、自己紹介がてら書きます。

 

人生初の脚本、いわゆる処女作は、大学祭での劇でした。催し物のひとつに、各学科が専攻している分野をテーマに劇をする、というものがあったのです。

 

当時は別にこの世界に興味はなくて、誰かがやらないといけないし、余興等でのコントの台本みたいなのはよく書いてたし、文章を書くのは好きだったので軽い気持ちで引き受けました。まさかこんなことになろうとは……。

 

僕は国文学科だったので、往年の文学作品を取り扱った話を書きました。

 

タイトル:『ぶったぎ』

 

何だろう、「ぶったぎる」の「る」まで言い切らずに自分が切られた的な……? ホンがもう手元にないのでうろ覚えなんですが、【売れない小説家がベストセラーを出したことで売れ線へ走っていき、自分のアイデンティティを見失っていく】というのが本筋だったはず。

 

で、それを諌めるのが、その小説家が書いてる本の主人公。本の中から飛び出してくるわけです。最初は自由に振る舞って小説家を翻弄するものの、中盤からは自分が展開に踊らされるはめになる。(安易に悲劇的なシチュエーションにされたり)

 

そこに、文学作品を彷彿とさせる名シーンのオマージュやタイトルのパロディをやりつつ、時折ユニコーンの楽曲が流れてキャストが歌うというとっ散らかった話。あの頃の自分に言いたい。

 

 

 

もっとやりようがあったろう……!!!

 

 

 

演出や指導も、わからないからめちゃくちゃだったし、荒唐無稽が過ぎた舞台だった。でも、皆でひとつのものを作り上げる達成感はあった。

他のセットに比べてやけにリアルな、ちゃんとポンプで汲み上げて水が流れる仕様の小便小僧は一生忘れない。肝心の本番でコンセントが抜けてて慌てて差しに行ったことも、し〜〜んとした場面に鳴り響くモーター音も忘れない。

 

これまでの歴史でもかなりの異色作で、審査員からの得点も高かったらしい。しかし、規定時間を大幅にオーバーしており、結果はあえなく「環境賞」。“練習場所を綺麗に使っていたね”という、いわばお情けの賞である。

 

屈辱の賞状は「こんなもん要るか!!!」と引き裂いて鍋敷きにした。思えばこの頃から反体制思想は始まったのかもしれない。

 

まあ、第0作みたいなもんだけど、こんな感じでウエダの劇作人生はスタートしたのである。

 

bye.

 

(学祭期間中、深夜の駐車場でスタントごっこをする金髪の私)

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笑。