team.ups!の『世界で一番どうでもいい文章』

名古屋のコメディ演劇ユニット・team.ups!のウエダタカヒロによる日々のあれこれ

#4.5 ウエダ式「家での台本の読み方」②

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前回の続き

(①はコチラ→https://ups-u.hatenablog.jp/entry/2019/01/22/050041)

 

【稽古時に台本を読むとき】

 

*台本を読むことを目的にしない。台本はあくまで手段です。目的は会話すること。台詞の有無にかかわらず、しっかり自分が「見ているべき場所」を見ながら台本チラチラする。


「見ているべき場所」と書いたのは、“会話の相手を見る”ことが必ずしもセオリーではないからです。しっかり見て話す、(特に意識せず)視線をやらずに話す、(意識的に)視線を逸らして話す、など自分(役)の気持ちを考えてみて判断。

 

*「動きをつける」という表現をよくしますが、本来動きは“起こる”もの。後からつけようとするから不自然性が高まる。動きというのは身振り以外にも相手に近づく/遠ざかる、舞台上にあるものを使うことを含みます。


台詞に対して自然に身体を動かせばOK。自然に身体が動かない場合は、自分(役)の心情や置かれている状況、取るべき行動がわかっていないということ。とりあえず動いてみるというのも有効です。違和感があればそれは違うということ。修正していく。棒立ちはダメ。何も生まれない。

 

上述が苦手だなーと思う人は、逆のプロセスで。例えば「楽しいシーン」だと思ったらそれを全身で表現してみる。表情を崩したり、身をよじってみたり。疑いなら眉間に皺、上目遣いで睨む、身を引くなど。台詞の読み方は呼応して変わるはずです。

 

「動かない」「何も考えてない」という芝居ならそれを意識的にやってるよう見えなければいけないので、やっぱり“無”を作ることになります。
台詞と動きはどちらが先という因果はなく、表裏一体です。

 

*「動きを大きく(オーバーに、大げさに)」とか聞くかもしれないんだけど、あれの真意は「表現を大きく」ということです。あなたが店でひとりでコーヒーを飲んだとする。とても不味い。でも、多分言葉は発しないし、表情を動かないかもしれない。じゃあ友だちといたら?「うわ、まっず!」って言うし、表情も動くと思う。この時点で表現の幅は広がっています。それはコーヒーの不味さを友だちに伝えようとしているから。伝わるのは相手がこっちのことを推し量ってくれる友だちだから。

 

では、それを周りの見知らぬ人(舞台でいうとお客さん)にも伝えようと思ったら?「うわ、まっず!」ぐらいでは興味の引きは弱いと思う。例えば立ち上がる、吹き出してしまう、話せなくなってジェスチャーで伝えようとする、顔を歪めて舌を出すなどしてやっと、感情や状況が伝わるわけです。(つまり物語が進むということ) 自分だったら、隣の席の人がどんなことをしていたら「え、そんなに不味いの!?」と心が動くか考えてみて。そしてその行動に対して自分がどう思うか「大げさ過ぎない?」「逆に飲んでみたい」など、そうやって相手役の心情も慮ってみれば芝居をやる上で一石二鳥でもあります。

 

100%伝えようとして30%伝われば御の字。ということは100%伝えるためには?表現を大きくするしかない。そのためには自分(役)の心に深く深く沈んでいく、想像力で補えない分は他者の演技を観る(ドラマや舞台以外にもアニメやCMやバラエティ、媒体は何でも)、他者の書いた文章を読む(こちらも小説だけならずエッセイ・漫画・特に作品の考察は勉強になります)などアウトプットのためのインプットをしていく。共通のものに対して誰かと感想や所見を話すのなんかとても良いです。

 

ただ、それらは眺めてるだけでは何も教えてくれない。目の前にいない限りは教わろうとしても同じ。自分から学ぶ姿勢が大事です。

 

*手詰まりになったらやり方を変える。それもわからなければ演出や作家、もしくは座組の仲間に聞く。
「変えよう」「良くしよう」という意志があれは必ず前進はあります。方向性が間違っててもOK。(それを正すための演出) 停滞と後退はなきようにしましょう!